2013年度 第30回公衆歯科衛生研究会
(ネコの会)ご案内



“健康腹話術 短期養成講座”
当日出し物は
1.グル−プワ−ク:「健康腹話術 短期養成講座」
今年の宿題はありません。 その代わり必ず,下の「健康腹話術・短期養成講座」を
熟読し「アからン」まで発声できるように練習してお越しください!


2.ミニコンサ-ト: 歌の力で、日本を今一度洗濯致し申し候 ******* 歌う平成の坂本龍馬  松尾貴臣先生 


******参考1.歌う平成の坂本龍馬 松尾貴臣先生紹介



******参考2.松尾貴臣の紹介ニュース


3.  ”あいうべ体操の星!参上” 鼻の穴はなぜ2つあるのか?!*****福岡県 今井クリニック 今井一彰先生

4. 荒れたクラスをたてなおす方法******長崎県南島原市 口之津小学校 福田泰三先生 

5.替え歌「抱腹絶倒、びじゅある替え歌!」*******岐阜市 稲葉幸二先生

6.『アイとイリコは世界を救う♪』*****大分県佐伯市「食育推進係」ヒラ職員:柴田真佑先生

7.「歯科医師が憧れの仕事であり続けるために!(児童虐待予防マニュアルより)」
**********奈良県 リリーデンタルクリニック 打谷美香先生


8. 動物おもしろ カミカミうんち学*****岡山大学病院 岡崎好秀先生





特別講演1  「地域に“寄りそ医”20年 
地域住民と診療所医師の強くて温かい絆の物語」

福井県 おおい町名田庄診療所 所長 
自治医科大学 臨床教授  中村伸一先生



平成3年、卒後3年目の春に、はじめて名田庄診療所に赴任しました。当初、外科医を目指していた私は、大病院にいる同期の医師から遅れをとることを焦り、自分一人で何もかも診察しなければならないへき地診療所での仕事に不安を感じていました。足が不自由で片足を引きずりながら「リハビリだよ」と言い、診療所へ1時間以上かけて通ってくれた高齢の男性。自分の処方で治らなかった難治性湿疹を皮膚科に通い治った後で受診して「先生、今度からこの薬を出すといいよ」と教えてくれた初老の女性。自分のような若造を医師として頼りにしてくれたり、医師として育ててくれたりする村の人を診ているうちに、自分自身の気持ちに変化が現れました。

「外科医になるには、ここにいては遅れをとってしまう」という考えに支配されていたのが、「この人たちのために医師として何ができるのか」と考えるようになり、そのうちに「自分がこの村を支えるんだ!」という強い思いを抱くようになりました。「小さな診療所ではできないこと」はたくさんありますが、それを言い訳にせず、「小さな診療所だからこそできること」を探していきました。

そうしているうちに、当地域は「家で最期を迎えたい」と望む高齢者がほとんどで、家族もそれを支えたいと思っていることに気づきました。平成3年10月、その思いに応えようと、診療所、役場住民福祉課、社会福祉協議会の全職員からなる「健康と福祉を考える会」を結成して保健・医療・福祉の連携を進め、ボランティアを中心とした住民も巻き込んでいきました。デイサービスの開始、訪問看護を中心とした多職種による訪問調整、事例検討会、健康祭や在宅ケア講座の開催等、つぎつぎと事業を展開していくうちに、職員もボランティアもいっしょに活動する「場」がほしいと考えるようになりました。

平成8年、保健医療福祉の総合施設を建設するための「福祉の森検討委員会」を立ち上げ、村長の後押しで基本構想、基本設計の段階から、職員も住民も参加しました。平成11年、国保診療所と国保総合保健施設が一体化した「あっとほ〜むいきいき館」が完成し、ソフト・ハードともに地域を支える基盤ができました。同時に、医師2名体制とし、私は診療所長と保健福祉課長を兼任することで、保健医療福祉の統合ができました。平成12年度からの介護保険制度の開始の前後では、課長として住民対象の説明会を何度も開き、議会対応も前面に立つことで、スムーズに導入することができました。

そうこうするうちに、私たちの活動が数値として、現れるようになりました。私が赴任してから町村合併するまでの15年間(平成3〜17年度)における名田庄村の在宅死亡率は約42%でした。また、名田庄村の国保医療費地域差指数や老人医療費、第1号介護保険料を福井県内で最も低いランクに抑えることができました。

平成15年度からの3年間、現在の特定保健指導の元となった厚労省の国保ヘルスアップモデル事業に取り組みました。様々な健康づくり事業を展開しましたが、その中でも携帯電話を用いた「IT介入」は国からも注目され、平成19年度の厚生労働白書に掲載されました。また、当地域の高齢者には、田畑でよく働き、近所同士が助け合って、自給自足をよしとする地域特有の伝統的な「生活習慣力」があり、これが健康につながっている可能性が示唆されました。

平成17年度から、前年度に開始された新医師臨床研修制度による地域保健・医療研修の研修医を4週間コースで受け入れるようになりました。研修医と私は毎日メールのやり取りをし、このやりとりは当診療所のスタッフや臨床研修指定病院の研修担当医にも送っています。概ね評判がよかったのか、初年度こそ3名でしたが、徐々に研修医は増えました。平成23年度には17名が集まり、ほぼ年間を通じて研修医がいるようになっています。

ただし、いいことばかりではありません。一度、非典型的な症状を呈したクモ膜下出血を見逃してしまいました。クモ膜下出血の典型例は突然起きる激しい頭痛ですが、この方は肩の痛みを訴えていたので、判断しにくかったのです。しかし、結果的にクモ膜下出血を見抜けなかったことは間違いないありません。このときは医者をやめるか、そうでなくてもこの土地を去らなければならないと思いつめていました。手術後、幸い後遺症もなく回復しましたが、まだどうなるかわからない救急搬送直後の時点で、患者の親戚の方から「一所懸命やっていてもうまくいかないことは、だれにでもある。先生、お互い様や」と言われたことは一生忘れられない言葉となりました。

また、平成15年、私は「特発性頭蓋内圧低下症による慢性硬膜下血腫」を患い、約2ヶ月間、仕事を休みました。このことを知った住民は、だれが言い出したわけでもなく、コンビニ受診を控えるようになりました。平成14年度に1098件あった時間外・休日診療は、平成15年度以降は120件前後に激減しています。いわゆる「共有地の悲劇」を住民は自然に回避していることになります。若い頃は、自分が地域を支えているつもりでした。誤診を許され、コンビニ受診も控えてもらった私は、地域に育てられ地域から支えられてきたのです。

ここ4〜5年、「医療崩壊」という言葉が、マスコミで頻繁にみかけるようになりました。その根底には、患者側と医療者側の相互不信があると思うのです。相互不信という大きな溝のあちらとこちらで、互いが勝手な言い分を言い合っていては、その溝は埋まりません。患者も医療者も「お互い様」の心を持った相互信頼のもとに、医療という限られた公共財を守り、支えあうことが大切ではないでしょうか。



中村伸一先生  プロフィール
1963年福井県生まれ。自治医科大学卒業。
91年卒業後3年目の28歳で、福井県、名田庄診療所に地域唯一の医師として赴任。
その後、住民3000人の医療を20年にわたり(研修期間を除き)担い続けている。
名田庄村(現おおい町名田庄地区)における高い在宅死亡率を実現し、
医療費、介護保険第一号保険料を県内で最も低いランクに抑えた業績を持つ。
現在も地域医療に取り組む総合医の道を歩み続けている。

■主な著書
■『自宅で大往生 〜「ええ人生やった」と言うために〜』中公新書クラレ、2010年

■『寄りそ医 支えあう住民と医師の物語』メディアファクトリー、20011
■主なサイト
プロフェッショナル仕事の流儀
中村伸一先生ブログ
地域医療で「逝き方」を考える
村でたった一人の青年医師の奮闘と成長の感涙の実話ドラマ「ドロクター」(前編)を放送!予告動画-NHK
「ドロクター」NHK


特別講演2 「その人らしさを支える  ─リハビリの心と力─」

 NTT東日本関東病院 
 リハビリテーション科 部長 稲川利光先生



稲川利光先生は元理学療法士。 総合的に患者を診るために3年かけて医学部へ進学された。そのため,急性期からの口腔ケアや摂食機能訓練についてはたいへん造詣が深い。RCサクセションの忌野清志郎が,ガンの末期で入院中のリハ担当医。清志郎は先生のことを「親方」と呼んでいた。


以下,先生の「リハビリの心と力 かかわりが自分を変える,地域を変える」より引用

希望を実現する―リハビリの心と力

「わーい。こんにちは。先生、元気?美帆も元気、元気!」美帆ちゃんは満面の笑顔で身体と手を揺らしている。「美帆ちゃん、よかった。また、美保ちゃんの笑顔に会えた。僕もうれしいよう。」そう言いながら、僕はほっと救われた気分になる。「美帆ねえ、美帆ねえ、がんばる。がんばるの!」と左手を大きく挙げて、美帆ちゃんがやってきた日の診療室は、パッと花が咲いたような空気に包まれていく。
ある日… 美帆ちゃんは幼い頃からとても闊達な女の子で、誰からもかわいがられた。美帆ちゃんの両親は一人娘の美帆ちゃんを大切に育て上げ、立派に成人式を迎えられたことを何より喜んだ。が、そんな一家に突然不幸が訪れた。
信号待ちをしていた美帆ちゃんの車に、暴走してきたトラックが突っ込み、トラックとコンクリートの壁につぶされた車の中で、美帆ちゃんは全身を挟まれて脳に大きな損傷を受けた。 なんとか一命を取りとめたものの、美帆ちゃんには重度の意識障害を四肢麻痺が残った。気管切開を受け、人工呼吸器をつけられて、意識のないまま長い期間が経過した。
その後、美帆ちゃんの意識は少しずつ回復したが、よびかけにかろうじて目を開く程度で、いつもうとうとしていた状態が続いた。受傷後1年半経過した時点で、人工呼吸器が外れたのを機にリハビリ目的で僕が勤務する病院に入院した。 入院当初、経鼻チューブ、気管カニューレ、尿道カテーテルが挿入された。誤嚥がひどく、口からいれたものはすべて気管切開の孔から吹き出してくる。障害は非常に重かった。寝返りも嚥下も全くできず、意識も改善しない状態で3か月が過ぎた。
 しばらくして、せめて少しでも口から食べられるようにという思いから、僕らは嚥下訓練がしやすいように、経鼻チューブを抜き、その代わりに胃瘻を増設した。胃瘻から栄養を得ながら美帆ちゃんは嚥下訓練を続けた。そして、お母さんは病院に泊まり込みで介護の方法を学んだ。胃瘻からの栄養が摂れるようになり病状が安定したところで、美帆ちゃんは自宅に戻ることになった。受傷後すでに2年が経過していた。

地域で支えるリハビリ

 自宅に戻ってからは訪問介護や訪問リハビリが導入され、歯科医師と歯科衛生士の訪問診療も加わり、発音・発声訓練や流涎をなくすための口腔リハビリも継続させた。経口摂取がわずかではあるが可能となったとき、気管カニューレを抜去し、気管切開の孔を閉じることにした。美帆ちゃんは病院と在宅で根気よくリハビリを継続した。 訪問看護、訪問リハビリとの連携のなかで、不安定だった坐位が少しずつ安定してきた。なんとか左手にスプーンを持って自分で食事ができるようになるまでに、4年もの歳月を要した。徐々に流涎も減少し、簡単な発語も可能となった。しかし、意識状態が改善し、なんとかしゃべれるようになった美帆ちゃんがお母さんに言った言葉は「ねえ、お母さん、美帆、なんで生まれてきたの? 美帆はねえ、死にたいよう」という言葉だった。美帆ちゃんは落ち込むと、その言葉を何度も繰り返し、両親も何度もうぶされそうになった。
 そんなつらく苦しい日々が続いていたある日、「花が好き、絵が好き」と言う美帆ちゃんにお母さんが与えたクレヨンと紙。好きな花の絵を描こうと夢中でクレヨンを手にした日から、美帆ちゃんは変わった。毎日、毎日、何枚も何枚も花を描いたスケッチブックは何冊にも増えていった。そのことが左手の機能を改善させていった。一方、食事に関しては、軟らかいものであればほとんど口から食べられるようになり、受傷後6年近く経って、やっと胃瘻の抜去となった。
その後、歯科医師や歯科衛生士の根気強いかかわりのおかげで言葉がうまくしゃべられるようになり、以前からみられていた流涎もなくなった。流涎がなくなれば前垂れが不要になり、前垂れが不要になれば、美帆ちゃんは若い女性の誰もがするようにおしゃれを始めた。白いブラウスを着て、お母さんがつくったビーズのネックレスをつけた。 おしゃれをすると、外出する気持ちが芽生えた。そして、事故に遭って以来、通院以外外出しなかった彼女は、車椅子でお母さんと一緒に近くのデパートに買い物に出かけるようになった。

外出先で見つけた希望

 ある日、買い物に行った帰り道、二人は小さなギャラリーを偶然にみつけた。そこは車いすでも入ることができ、美帆ちゃんとお母さんは水墨画の作品を鑑賞した。絵を見て感動している美帆ちゃんを見て、お母さんはうれしくなり“だめもとで”で、「一年後、ここで娘の描く、花の絵の展覧会をさせてもらえないですか?」とギャラリーのオーナーに聞いてみた。オーナーは一瞬びっくりして美帆ちゃんを見ていたが、「喜んで協力する」と約束してくれた。
それから一年、美帆ちゃんは花の絵を描き続けた。熱が出て入院した日も、僕は夜遅くまで絵を描いている美帆ちゃんを見た。毎日毎日夢中だった。一年後、「美帆作品展」が開催された。 チューリップやパンジー、コスモス、福寿草…数え切れないほどたくさんの花が咲いている。それがギャラリーの壁一面に掲げられた。ギャラリーはまるで花に埋め尽くされているようにもみえた。すべてが空を見上げて咲いている。
美帆ちゃんがそうやって生きてきたように、そしてこれからもそう生きていくように。 会場には多くの人が訪れ、みんな熱い感動を得て帰り、そしてまた友人を連れてみにきてくれた。人が人をよんだ。地元の新聞社の報道も加わって、
一週間の会期中、ギャラリーはかつてないほどのたいへんな賑わいとなった。 僕らスタッフもみんな、彼女にかかわってきたことの価値がどれほど大きなものであるか、その気持ちを分かち合うこともできた。



稲川利光先生  プロフィール
NTT東日本関東病院リハビリテーション科部長
1954年福岡県生まれ、1979年九州大学農学部卒業後、同年九州リハビリテーション大学校に入学、
1982年同校卒業後、福岡市内の病院に理学療法士として3年間勤務、地域で訪問リハビリなどに取り組む。
その後医師を志し、1987年香川医科大学に入学。1994年から伊豆逓信病院(現NTT東日本伊豆病院)に勤務。
2005年より現職。NTT東日本関東病院脳卒中センター兼務。脳卒中の急性期から緩和ケアまで幅広いリハビリを実践。
また、院内のすべての科にわたり廃用症候群や嚥下障害などの後遺症を早い段階で予防しながら、
患者さんのQOLの維持・改善に努めている。
現在、NHKの福祉ネットワーク「にっぽんリハビリ応援団」に出演中。

■主な著書
■「リハビリの心と力 かかわりが自分を変える,地域を変える」Gakken 2011

■「あんたは名医だ」筒井書房 2008
■『脳卒中リハビリと生活ケア』(雲母書房)
■「老人ケアの元気ぐすり」医学書院 2001
■『遊びリテーション』(医学書院)
■主なサイト
NHK Eテレ にっぽんリハビリ応援団
花はみんな上を向いて咲いています
多くの人たちの元気ぐすりになれたら
優しくなれる時間
稲川流リハビリ論 私を変えた患者との出会い‐前編
稲川流リハビリ論 私を変えた患者との出会い‐後編
「グル−プワーク」
「健康腹話術 短期養成講座」

****一国堂さんの腹話術,面白いですね!
***いっこく堂**千の風になって

あんなに話せたら,患者さんは驚くだろうし,幼稚園や学校での健康教育で使ったら子ども達は大喜びするだろうな・・。それに飲み会でも大うけするだろう・・。そんなことを考えたことはありませんか?
***仙台 フレンド小児歯科**歯の妖怪

そこで昨年に続き,今回は,もう少し本格的に腹話術を勉強しましょうという「健康腹話術 短期養成講座」を開催いたします。 コーディネートをしていただくのは, 柳井篤子先生(別名:陽気妃先生)です。
柳井さんが目指されたいるのは,「健康腹話術」です。


健康教育腹話術について   やないあつこ

 腹話術は一般にパフォーマンスとしての色合いが濃いですが、私は「健康教育腹話術」として腹話術の人形を役立てて頂けたら嬉しく思います。「健康教育腹話術」とは、健康・食育・禁煙・歯・心のケアや「人権」「マナー」「躾」などのちょっと堅苦しい話をするにあたり、身近にそして楽しく伝える手段として「腹話術」を活用します。これを「健康教育腹話術」と名づけて提唱しています。特に医師・保育士・歯科衛生士・教師の方々にとって腹話術の人形はこどもから年配の方々まで幅広く心を惹きつけることは間違いありません。 相手の心に寄り添う手段の一つとして腹話術の人形を活用してみては如何でしょう。例えばいつも教えられることの多いこども達にとって、ヘマをしたり間違ったことを言ったりする人形に正しいことを伝えてあげたいと思う気持ちは、こども達の自信につながり勇気を与えてくれることでしょう。また、人生の経験を積んだ大先輩のお年寄りに対しては、歯や健康のなどのお話で人形が相談したりアドバイスを受けたりすることもあるかと思います。腹話術を楽しく学び、そして喜びを持って自分の想いを相手に伝えることができたら、嬉しいですね。

今,これを読んでいるアナタ !
以下のことを行ってください。
1:まず鏡の前に立ってください。
2:次に,最高の笑顔をしてください。
3:そうすると口角が上がりますね。
4:その顔のまま,ネコが鳴くような少し高い声で「ニヤ〜」と言ってください。
5:この音が基本形です。
6:その音で“あ・い・う・え・お”と発音してください。
7:次に“か・き・く・け・こ”と言ってください。
8:その次は“さ・し・す・せ・そ”です。
9:そうそう! いい感じです。あなたの声が聞こえてきそうです。
10:さらに“た・ち・つ・て・と”。
11:次は“な・に・ぬ・ね・の”。
12:そして“は・ひ・ふ・へ・ほ”。
13:バッチリ!ですよ。
14:さらには“ま・み・む・め・も”。
15:アレッ!! この音は出しにくいですね。
16:何故ならマ行は,口唇を閉じないと出せない音だからです。
17:だから腹話術では,マ行・バ行・パ行は,なるべく入らないようにするのです。
18:さて次に行きましょう。
19:“や・い・ゆ・え・よ”。 これはOKですね。
20:“ら・り・る・れ・ろ”。これもいけますね。
21:最後に“わ” と “ん”。
22:50音が完成しました。
23:最後に,この音で,自分の名前を発音してください。
24:これで完璧です。
25: さて,ここで宿題です。
以下は,大人から子供まで受ける“鉄板ネタ”です。

当日は,腹話術に使う手袋人形は,“1人ひとつずつ”こちらで用意いたします。


次の“あいさつの練習”を当日までにしてきてくださいね。

○:術者   ×:人形
○  今から挨拶の練習をしましょう
×  ウン
○  それじゃ、はじめるよ 
×  ウン 
  ○  こ ん に ち は
×  コ ン チ ク ハ
○  ちがうよ〜   「こ ん に ち は」
×  コ ン ニャ ク ハ
○  今日はまじめにやるって言ったでしょう?
×  コ ン ニ チ ハ〜?
○  やればできるじゃない
×  エヘヘ
○  次は 「あ い う え お」
×  アホカイナ
○  も〜 違うよ〜・・  じゃ 次は 「か き く け こ」
×  カ キ ク イ タ イ
○  「さ し す せ そ」
×  サ ル ノ ヘ ソ
○  「た ち つ て と」
×  タ チ ショ ン ベ(ゲ)ン
○  「な に ぬ ね の」
×  ナニ イッテンノ?
○  も〜 けんちゃんたらぁ・・
×  ごめん ごめん
 
おまけ:柳井先生の腹話術の様子は,以下でご覧いただけます。

A&オールスターズ****大奥編

A&オールスターズ**** 禁煙編
(ご覧になれない方は”youtube 腹話術 大奥”で検索可能です。)




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